セブ島通信 Vol.160 2017年09月号へ戻る

「南方第14陸軍病院関係者」慰霊碑

広報担当理事 安藤 尚子

セブ市中心部にあるヴィセンテ・ソット記念医療センターは、大戦当時は日本陸軍南方第14軍の病院がありました 現在、その敷地内には赤十字マークが印象的な立派な慰霊碑が建っています。 セブ島は日本軍のビサヤ諸島防衛の中心拠点で、兵站基地として病院や武器弾薬などの補給所が置かれ、海軍の大規模な飛行場と陸軍の司令部があり、兵力の大半は航空機整備員や病院職員、憲兵などでした。 野戦病院の指揮命令権者は師団長ですが,衛生部長(軍医大佐)が専門知識を補佐し、病院長以下、軍医、薬剤官、歯科医将校、衛生部将校、衛生部下士官兵などで構成されます。 昭和17年(1942年)8月15日、病院長 眞田武雄軍医中佐以下100名の従事者でセブ島に病院が開設されました。 昭和19年6月には300名、同年12月にはレイテ島に機動衛生班派遣、パナイ島イロイロ、ネグロス島、バコロドに分院を設置し総勢455名となり、 患者数は600~800名余りが収容され、大勢の医師看護婦従事者、多数の患者がいました。 戦時中はセブ市内はもちろん、病院も米軍の空爆により多くの医療従事者、負傷兵が犠牲になりました。 昭和20年4月、戦況悪化によりセブ市内よりマンダウエ地区に転進命令が下りました。このとき重症患者、歩行不能者は自決、行軍出来る者は自隊に復帰。 以後、リロアン、ダナオを通過しカルメン、タブエランに転進します。 昭和20年8月28日セブ島北部のボゴで降伏し終戦を迎えますが、武装解除時の生存者は最盛期の30%と日本政府の戦史資料に記されています。 日本人捕虜2667名、その中には数名の日本人女性看護師も含まれていました。 そして、終戦32年後の1977年3月10日、戦友遺族団によりようやくこの場所に慰霊碑が建立されました。慰霊碑の傍らには、フィリピンと京都日比地蔵尊保存会有志によって地蔵菩薩像も築かれました。

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