セブ島通信 Vol.160 2017年09月号へ戻る

私のマーヨンなご近所

水野

今更であるが、私の名前は水野摩尼(みずのまに)という。尼という字がついているが、実家が寺なわけではない。あまり興味がなかったので、自分の名前についてそれほど調べたことはないが、珍しい名前だったので、幼いころから「マミ」だの「マリ」だのとよくまちがえられた。ある程度の年齢になると、友達が無理して漢字を書こうとするのだが、「摩」が悪魔の「魔」になっていたりするのはよくあることで、「尼」が「尻(しり)」になっていたり、極めつけは「屁(へ)」になっていたりする年賀状が届いたりしていた。高校入学後、新しい友人たちに名前の由来を聞かれ、「母がフィリピン人でマニラで生まれたからマニなんだ。」と適当なことを言ったら、それを三年間信じていて、卒業式にどこから見ても日本人の母を見た友人たちが、ようやく嘘だったと知ったということもあった。名前を言うと必ず聞き返されるため、自己紹介をするのは本当に嫌だった。 そんな私がセブにやって来て、名前を言っても聞き返されることはあまりない。日本での経験上、どうしても「ニ」を強調してしまうため「マニィ」と言ってしまうから、有名なボクシングのマニー・パッキャオと同じだね、とか、お金(マネー)持ちなのかとからかわれたりはするが、珍しい名前だね、だとは言われたことはない。スターバックスでも「MANNY」とスペルはちがうが、聞き返されずに注文した飲み物に書かれて出てくる。こうして私は名前を言って聞き返されるストレスから解放された。 ある時、ジプニーの停留所で待っていたら、私の名前を呼ぶ人がいる。しかも連呼。こんなところに知り合いなんか絶対にいないと思いながら振り向くと、ピーナッツ売りがいた。そういえばメキシコを旅した時に、「MANI JAPON」という醤油味のピーナッツのお菓子を見つけたことがあって、その時、スペイン語でピーナッツのことをマニをいうのだと知ったが、セブでもスペイン統治下の名残が言葉に残っていて、ピーナッツをマニというんだな。町中でピーナッツ売りがいると、未だに必ず振り向いてしまう。 近所の人には、私は「マン」と呼ばれている。長いこと「マム」と呼ばれているのかと勘違いしていた。そんなに丁寧に呼ばなくてもいいのに、と思っていたが、どう聞いても「ム」ではなく「ン」なのでおかしいなぁ、とは思っていた。ある時、フィリピン人は省略するのが好きだと聞き、人の名前なんかも省略して呼ぶらしいことがわかった。省略といったって「マニ」は二文字だし、「マン」にしても二文字だから、省略して短くなるわけではないから、そもそも省略する必要なんぞないではないかと突っ込みたいのをずっと我慢している。この省略する呼び方は、あくまでも相手に対し、親しみをこめているらしいが、例えば、あなたのことをこれから親しみを込めて「マン」と呼びますね、とひとことあればよかったが、いきなり「マン」だったので、私はなぜ「マン」と呼ばれているのかまったくわかっていないまま「マン」と呼ばれていた。 そして不思議なことは、これがどこに言っても、ある程度親しくなると、そう呼ばれるようになる。私は「マニ」で「マン」と呼ばれています、などといちいち説明しなくても、だ。どうやらフィリピン人には、共通の人を呼ぶ法則みたいなものがあるらしい。 「サー」や「マム」なんかも、やたら語尾につける。弁護士だと「アトニー」、医者だと「ドク」。これでもかってほどに文末につけるのが、リスペクトしてますってことになるのだろうか。くどいなぁ、と思いながらも、この頃は真似してやたらつけてしまっている。 そういえば、「クヤ(お兄さん)」「アテ(お姉さん)」なんていうのもよく使われる。これはどうも年上に使う呼びかけのようだ。「マノイ(お兄さん)」「マナン(お姉さん)」なんていうのもあるが、こちらのがどうも田舎臭い感じで、「おじちゃん」「おばちゃん」みたいな勝手な印象を持っている。だから、そのへんで知らない人に「マナン」なんて呼ばれると、ムッとしたりする。反対に、例えばトライシクルなんかに乗って、運転手に、「ダイ」なんて言われると、嬉しくなったりする。「ドン(坊や)」「ダイ(お嬢さん)」という感じだろうか。(どういうわけかはわからないが、トライシクルの運転手に、よく「ダイ」と呼ばれる。) 昔々、某テレビ番組の司会者が、どこから見ても「おばあさん」の域の方々を、「お嬢さん」と呼んでいたが、おそらくそんな感じ。白々しいにもほどがあると昔は思っていたが、いざ、自分が「おばあさん」の域になってみると、「お嬢さん」と呼ばれることは、意外と嬉しいものなんだと実感し、私も年を取ったなぁ、としみじみ感じる今日この頃である。

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