セブ島通信 Vol.161 2017年11月号へ戻る

私のマーヨンなご近所

水野

日本にいた頃、身近な人が亡くなることはあまりなく、通夜だの葬式だのに参列することもあまりなかった。社会人になってから、これからはそういう機会も訪れるだろうからと喪服を購入したが、一度か二度、袖を通したきりで、日本に置いてきてしまったくらいだ。しかし、こちらで暮らすようになって、特に近所の人の訃報を割と頻繁に聞くようになった。 私は未だに人が亡くなるのを見たことがないのだが、子供たちはすでに何度か近所の人が突然の発作などで亡くなるとこを見たことがあるという。それほどこの辺では、人の死は割と日常にある。 私が夫と結婚する前の話だが、夫の叔父さんが亡くなった。まだその時、こちらの通夜というものがどういうものかもわからなかったが、とりあえずお悔やみに行くことにした。何を着ていくのか、香典などは出すのか、など、わからないことだらけであったが、とりあえず夫に連れられて、普段着のまま出かけた。家の中に棺があり、叔父さんの母親である祖母や女きょうだいの何人かが神妙な顔をして座っていた。しかし、家の周りでは、椅子やテーブルが無造作に置かれ、たくさんの人がトランプに興じていた。それはおよそ通夜の雰囲気ではなかった。ところ変われば、ずいぶんちがうものだとかなりの衝撃を受けたが、私も勧められるままに日本でいう「うすのろ」に参加し、思わずエキサイトしてしまい、奇声を発してしまった記憶がある。未だに本当か嘘かわからないけど、このトランプは現金がかけられており、儲かった人がいくらか寄付し、葬式費用を捻出するのだと説明され、以来、そうなんだと信じている。 それからはダレソレが亡くなったと近所の人の訃報を聞いても、私が出向くことはなかった。姑になにがしが渡し、それでおしまいにしていた。まぁ、実際、顔見知りではあるが、そんなに親しくはない、みたいな感じだったので、わざわざ行くこともないかな、と都合よく考えていた。 しかし、最近、立て続けに親しい人が亡くなった。一人は親戚の叔父さんで、その一家にはいろいろ助けてもらっていた。ここはやはり自ら出向かないと義理が立たないだろうと、本当に久しぶりに通夜に出かけていった。相変らず家の周りでは、とても人が亡くなったような雰囲気はなく、近所の子供たちが楽し気に笑い、大人たちは賭けトランプに夢中になっていた。そんな異様な雰囲気の中、家に入ると、奥さんである叔母さんと娘が棺のそばに座っていた。とりあえず棺の前に立ち、手を合わせる。そして白い封筒に入れた香典を叔母さんに無言で渡す。叔母さんはありがとうと言い、封筒を受け取った。長年、持病を患っていており、そう長くはないと言われながらも、かなりの年数を生きていた叔父さんであった。家族も覚悟ができていたのか、最期は苦しまなかったことがよかった、と話してくれた。狭い家の中で、椅子を勧めてくれるのだが、それはつまり、今まで座っていた人をどかして、ということなので、遠慮してすぐに失礼する。実際、長居したところで、何をどうすればいいのかわからないし、いたたまれないというのが本音であったりする。 もう一人は古い知人である。確か同じ年齢だったと思うが、とても同じ年齢に見えないくらい年齢を重ねているように見えたし、すでに孫もいて、それがすでに中学生くらいという話だ。彼もやはり持病を抱えており、あっちこっちが痛いと顔を合せるたびにぼやいていた。しばらく前にいよいよ危ないと姑から聞いていたが、ある日、息子から亡くなったことを聞いた。これはお悔やみに行かねば、と思ったが、そういえば彼の家を知らなかった。息子が知っているというので、案内をさせて出かけることにした。今回は親戚ではないので、一応、ちゃんとした格好をしなければならないのではと思い、黒い長ズボンとTシャツに着替えた。すると息子が、「何でそんな恰好しているの?」と不思議そうに聞く。仮にもお通夜に行くわけだからと言うと、そんな恰好している人なんて誰もいないよ、却って浮くよ、と言われてしまった。それでも私は日本人だから、と息子の忠告を無視し、黒づくめで出かけていった。彼の家は我が家から歩いて数分のところであったが、大きな道路からかなり奥まったところだった。大きな道路から少し入ると、無秩序に家が建てられている。迷路のような道なき道を、息子はスイスイと入っていく。そのあとを続く。急に開けたところに出たら、人だかりが見えた。相変らず家の周りでは子供たちが走り回り、大人たちはトランプに興じている。私が家に近づくと、コソコソと私の事を話しているのが全部聞こえる。そのうち私はまったく面識がないと思っていたのだが、娘というのが出てきて、家の中にいる故人の奥さんに私の名前を言って、私の訪問を告げた。これまた面識がないはずの奥さんも親し気に出迎えてくれる。棺の前で手を合わせ、香典を奥さんに渡し、そそくさと帰って来た。その数分の間、奇声を発していた子供たちは一斉に黙り、ジロジロと見られた。大人たちにしても然り。息子の言う通り、黒づくめの恰好が悪かったのか、単に日本人が来たのが珍しかったのかわからないが、久々にフィリピン人にジロジロ見られ外国人気分を味わった。 数日後、行列を作って遺体を埋葬しに行く。そして精進落とし(?)で近所の人に豚料理を振舞う。残された家族を見ていると、ああ、私一人が死んだところで、残された家族は淡淡と生きていくのだろうなぁ、と思う。それがせつなくもあり、安心したりもする。

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