セブ島通信 Vol.162 2018年01月号へ戻る

私のマーヨンなご近所

水野

我が家の洗濯を頼んでいた親戚の娘。長患いしていた父親が亡くなったのを境にぱったり洗濯を取りに来なくなった。「父が亡くなったので、しばらくできません。」ということはちゃんと言いに来た。しかし、葬式はとうに終わっているのに、一向に戻ってこない。長患いの父親が亡くなり、そんなにお金もいらなくなったということなのかは知らないけど、それならそれで「もうやりません。」とはっきり言ってくれればいいじゃないか。それをこちらは下手に彼らの仕事を取っても悪い、と気を使い、暫定的に姑に洗濯をしてもらっていた。 以前にも書いたが、姑の洗濯については、いろいろと問題がある。出来栄えはもちろんだが、今回の問題は排水だ。なぜか姑は外で洗濯をする。それも我が家のテラスの前で。どうやって洗濯をしているのかは最初から最後までじっくりと見たことはないが、仕事から帰宅すると、家の前が泡だらけで水浸しなのだ。 昔は、水はけだけはよかったのだが、隣の叔父さんが勝手に穴を掘って以来、水はけが悪くなって雨が降れば何日も水たまりができるようになった。そのたびに鉄の棒で土を耕して、水はけをよくしているのを姑も見ているはずなのだが、平気でアワアワの水をその辺に流す。洗濯は家の中の風呂場でやってくれ、と何度言っても言うことを聞いてくれない。地味に私に対する嫌がらせか、と思うくらいだ。 親戚の洗濯娘もこのままなかったことにするつもりらしいので、抜本的な対策を講じなければなるまい。 そしていろいろと考えたが、やはり自分でやるのが一番ストレスがない、ということにたどり着く。以前は断水も多く、また出てはいても水圧が低く、洗濯槽に水を貯めることもままならず洗濯機は諦めたが、今は井戸がある。停電さえしなければ、タンクに汲み上げられる水が勢いよく出る。 洗濯機といえば、以前にここに書いたけど、隣の叔母さんの使っていない全自動の洗濯機を思い出した。使い方や仕組みをよくわからないまま購入し、結局数日しか使っておらず、放置されている。試しに「あれ、いくらで売る?」と、聞いてみたら、「一万ペソでいい。」と、ものすごくお得、みたいな言い方をされたが、新品だってそれに数千ペソ足せば買えるしね。何もわざわざ数年間放置されていた果たして正常に動くかもわからないのを買うこともないと、新しい洗濯機を買ってきて、自ら洗濯をすることにした。 夜、仕事から帰ってから洗濯をして、テラスに干す。それでうまくいっているのだが、テラスには干しきれないシーツなどの大物は日曜日にするしかない。 ところがである。なぜか隣の家のメイドも、日曜日に大洗濯をする。せっかくの休みだ。いつもよりも少し遅く起きて、なんてのんびりしていると、すでに干すところがない。隣の家では、おそらく日曜日に一週間分の洗濯をしているのだろう。量がハンパではない。しかも油断しているとウチの窓の向こうにカーテンのように干され、日中でも暗くなる。 これではシーツが干せない。隣のメイドよりも早く干す場所を確保しなくては、と、こちらも意地になり、まだ日が当たらないうちから洗濯を干し、心の中で「勝った」と思っていたら、突然、雨が降ってきたりして、慌てて取り込んだりする羽目になる。 そんな愚痴を、某日系企業で働く叔母さんにこぼしていたら、その叔母さんも激しく同意してくれた。彼女は休みは日曜日しかなく、洗濯は一週間分まとめて日曜日にやるのだそうだ。ところが無職の隣の家の洗濯物がたくさん干してあって、叔母さんのところの洗濯物が干せないのだそう。仕事をしていないなら何もわざわざ日曜日に大洗濯をしなくてもいいじゃないか。日曜日は洗濯などせずに、教会に行った方がいいと思う。 そういえば、洗濯物を干すところも、だんだんなくなっている気がする。以前はぜいたくにその辺にロープや針金を張り巡らせ、いくらでも干せたが、開発されるに従い、空き地がなくなり、洗濯物を干す場所もなくなってきている。今や、いかに少ないスペースに干すかということに頭を使う。そうそう、物干しなんていうのも、ハードウェアの店で売っているのを最近よく見かける。洗濯をしても干す場所がない、なんていうのは、意外とみんな共通の悩みなのかもしれない。 そんなことが関係しているのかどうかはわからないけど、街中で洗濯屋をよく見かけるようになった。一キロ三十ペソ、なんて書いてあるので、試しに枕を出してみた。そしたら枕は別料金なのだそうで十倍の値段を言われたが頼んでみた。店内に洗濯機や乾燥機があるので、その日には無理でも、翌日にはできると思っていたが、なんと出来上がりが一週間後だという。一週間後に取りに行くと、確かにきれいになってビニール袋に入れられていたが、家に帰ってビニール袋を開けると、かなり湿っていて、強烈な柔軟剤の匂いがした。結局、また外に干して乾かさなければならず、大物を洗濯屋に出すという手はあまり有効ではないのかもしれない、と思った。 そして壮絶な干し場の取り合いは今日も続く。

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