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挑戦する甲斐があった

Yap, Mary Joy V.

幼いころから日本の歴史、文化そして言語について深く興味がありました。看護師になりたい時期もありましたが、大学2年のときに高校時代の後輩と出会ったことがきっかけで新たな目標を見出しました。その後、国際学科へ転学し、日本のことがもっと好きになりました。今思えば、あの時の再会がなかったら、日本のことは遠くの存在だとずっと思い続けていたままだったでしょう。 転学してから3年経った頃、校舎内の掲示板に国際交流会のお知らせが貼られていました。最初は、「国際交流か。どうせ20歳未満だろう。いくら申請しても意味がない」とよく見もしないで諦めていました。ある日、クラスメイトと廊下で出会った時にそのプログラムについて話をしました。彼女は「ねえ、掲示板のお知らせを見た?参加しなよ」と言いました。「うん、少し見たよ。どうせ年齢制限があるでしょう?」と私は答えました。「違うよ。それは、以前のことでしょう。今は入れるわよ」と彼女は教えてくれたのです。私はその話を聞くや否やプログラムに申請しました。 運がよかったことに代表の一人として選ばれました。あの時クラスメイトと廊下で出会ったおかげです。そして、初めて海外に行きしかも、愛しい日本に、やっとたどり着くことができたのです。最初の週は大変でした。特に各国の代表はまるでネーティブスピーカーのように流暢な日本語を話していました。「ほとんど同い年なのに、なんでペラペラなのかしら?一体どんな方法を使って、あんな風に喋れるようになったんだろう。」と自分の未熟さを目の当たりにして不安になりました。けれども諦めずに、挑んでもがいて、少しずつ差を縮めるようにしました。 大学卒業後、日本人が経営する情報総合サイトの会社で働き始めました。初めて与えられた仕事は失敗ばかりでした。お客さんが、物凄く不安そうな顔をして怒っていました。次の日に上司と話をして仕事の感想まで聞かれました。上司は挫けそうな私にこう言いました「大丈夫。まだ始まったばかりだから、気にしないで。」私は上司の温かい言葉に救われました。 そして4年後、さらなる日本語のスキルアップに挑んでマニラに行きました。前から働きたかった銀行に、応募しました。2、3週間後ようやく内定をもらいました。銀行の経験は、もちろんなかったです。正直にいうとここでの仕事は一番大変でした。でも人との絆にかわりはありません。とても幸運なことに、日本に行く機会に恵まれました。タスク移行があり、たまたまもう一人の日本語スピーカーが妊娠していたため、その代わりです。足手まといでしかありませんでした。 ある日、トラブルが起こって酷い目に会った時、一人の先輩が、「まだ新人だけど、働きぶりはすごくいいから、ずっと長くここにいる人よりもマルの方に期待してるよ。」と言ってくれました。その言葉を聞いた瞬間に、涙が止まらなくなりました。 そして、自分にこう言えます。「挑戦する甲斐があった」。挑戦しなかったら日本にすら行けなかっただろうし、夢すら叶えられなかったと、私は思います。私にとって一番大切なのは培ってきた人との絆だと思います。支えてくれた人たちがいるからこそ、私は今ここにいます。支えてくれた人たちに感謝して、私はこれからも挑戦し続けていきます。 ご清聴いただき、ありがとうございました。

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