セブ島通信 Vol.163 2018年03月号へ戻る

女37歳 セブ島で楽しく明るい貧乏生活

JUNKO

私はセブに来る前、精神障がい者と関わる仕事をしてきました。そのため日頃から悩みを抱える方々に囲まれて生活していました。だからこそ、初めてセブに来てフィリピン人と触れ合った時、飛びぬけた明るさと楽観的な生き方には衝撃を覚えると同時に、大きな可能性を感じました。  フィリピンはまさに「笑顔が笑顔をよぶ」国だと思います。みんなが笑顔なので、つられて笑ってしまいます。このパワーを日本にも届けたいと常日頃思っていました。そんな私に大きなチャンスが訪れました。先日、福島のとある旅行会社から「震災後に避難生活を送り不登校、引きこもりになった子どもたちをセブに連れて行くツアーを企画したい」と相談がありました。奇遇にも私は福島出身であり、震災直後から現在まで被災地の支援を続けています。これは運命だ!と思い、福島の子どもたちのために出来ることを必死で考えました。  震災直後の福島、宮城の光景、住む場所を奪われ見知らぬ土地で暮らさなければいけない境遇、家族や友人を亡くした喪失感と、自分が生き残り助けることができなかったことに対する罪悪感。津波の被害にあった人々は大きな悲しみや苦しみを抱えて生きています。日本では震災直後笑うことすら「不謹慎」と言われていました。今回のツアーに参加する子どもたちは、そんな日本の「不謹慎」という風潮から抜け出せず、笑顔の連鎖が断ち切られた世界に生きてるのではないかと思いました。  そこで今回のツアーでは、笑顔の連鎖に福島の子どもたちを巻き込む計画を立てることにしました。「子どもらしく」ある時期を失ってしまった子どもたちにとって、思いっきり「子どもらしい」セブの子どもたちは、とても優秀な先生です。セブの子どもたちは福島の子どもたちを決して「被災したかわいそうな子ども」としては見ませんでした。同じように福島の子どもたちも、貧困地区に住むボロボロの服を着て、靴も履いていない子どもたちを「恵まれないかわいそうな子ども」とは見なかったようです。子どもはお互いにレッテルを貼りません。初日には笑顔を見せなかった福島の子どもたちも、セブの子どもたちと一緒に遊んでいるうちに、自然と笑顔になっていきました。  笑顔は最高の万能薬です。そんな万能薬が街中にあふれているのが、ここフィリピンだと思います。これからも私は、日比でお互いの可不足を補い、助け合える関係を築くための懸け橋になりたいと思っています。 後日嬉しいお知らせが届きました。今回ツアーに参加した福島の子どもたち全員が、今は元気に学校に通っているそうです。彼らが成長し、大学生や社会人になったとき、今回笑顔のパワーをくれたセブの子どもたちのために何ができるのかを考え、新たな懸け橋になってくれることを期待したいと思います。  

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