セブ島通信 Vol.164 2018年05月号へ戻る

2018年タリサイ慰霊

日本人会 安藤尚子

セブ市内から南へ15キロ程に位置する人口約20万人の街、タリサイ市 大東亜戦争末期、この街の海岸に米軍が上陸を開始しビサヤ諸島における日米の攻防戦が繰り広げられました。 毎年3月26日、タリサイ市では街をあげて賑やかな上陸記念式典が催されます。 上陸記念式典の始まる早朝、慰霊奉賛会の有志と日本人会で多くの血の流れたこの海岸で石田武禅氏の経読と共に粛々と慰霊をしました。 1945年3月26日、ビクターII上陸用舟艇は、アメリカ第7艦隊の第74任務部隊に護衛されボホール海峡の南からタリサイの海岸に向けて北上してきました。 ガダルカナル島・ブーゲンビル島・レイテ島の日本軍との激戦で指揮を取ったウィリアム H. アーノルド将軍の下で編成された部隊でした。 まさに午前7時30分、米軍はタリサイの海岸に向けて大規模な砲撃を開始しました。 上陸用舟艇はさらに海岸に近付き、数千発のロケット弾を集中砲火し茂みを吹き飛ばし海岸は炎に包まれました。午前8時30分頃、予定通り米軍の第一波はタリサイの海岸に上陸を開始しました。 米軍はLVT(上陸用装軌車)・水陸両用車「アリゲーター」を海岸に上陸させ、さらに攻撃をしました。砲撃による爆発音は連続的で、耳をつん裂く爆音の凄まじさに、味方である後続の上陸用舟艇の操縦士ですらパニックを起こし舟艇を止めてしまう程でした。 上陸を開始した米軍は海岸を一掃し、第182歩兵連隊はタリサイ市を流れるマナンガ川にかかる道路と鉄道を確保しました。 初日の戦闘は、日本軍戦死者88人・日本兵10人が捕虜となりました。米軍戦死者8人・負傷者39人となりました。 翌日3月27日、日本軍からの激しい反撃に遭遇しながらも第182歩兵連隊はさらに北東に進み、タリサイ市とセブ市の間にあるパルドーの丘を確保しました。第132歩兵連隊は沿岸道路を上ってセブ市とその重要な港湾施設を確保しました。 3月28日、米軍はセブ市に続きマクタン島を制圧しました。マクタン島の飛行場を押収した事はBabagの日本軍砲兵の範囲を超えた事でLahug飛行場より安全な飛行場を確保し米軍の制空権がより安全に、より有利になりました。 セブ島は日本軍のビサヤ諸島防衛の中心拠点であったため、米軍はセブ島の日本軍の能力を破壊するため市街地への空爆や爆撃が毎月行われました。ルソン島の日本軍第14方面軍司令部は遊撃戦を中心とする持久戦にするよう下命しました。ジャングルに追い込まれ飢餓と病気、ゲリラ攻撃で消耗していった日本軍は各地で孤立し終戦を迎えました。 戦場で国を思い散華された方の冥福を祈り、「戦争の悲惨さ」「平和の尊さ」を改めて胸に刻み世界の平和を願います。

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