セブ島通信 Vol.164 2018年05月号へ戻る

第五回セブ盆踊 

第五回セブ盆踊 

和太鼓の響きが満場の聴衆の心を震わせる。一人の打ち手の桴(バチ)が落ちる。気が付いた聴衆は一瞬息を呑む。しかし、彼女の手には見えない桴が握られ太鼓を打っている。次の瞬間、隣の打ち手が腰に挟んでいた予備?の桴をすっと引き抜いて手渡す。聴衆からは安堵と感動のため息が漏れる。この間数秒。二人の表情にも演奏にも微塵の動揺も停滞もない。 第五回セブ盆踊のメイン演目は田中泰秀会長率いる埼玉県の和光太鼓11名による公演。2012年にアヤラセンターで開催されたJapan Festival 2012でセブ中を感動をさせた面々だ。会員60名、大学のサークル40名、創立44年のチームは本年3月ベトナムでのSakura Festival、11月サンフランシスコInternational Taiko Festivalに招聘されている。ほとんどのメンバーが女性、最年長は64歳、最年少は13歳、その動き、気迫には親子三代の年齢差を感じさせない。13歳の中学生が自分の体よりも大きな太鼓を自在に操る。和太鼓の地を圧し空気をビリビリ震わせる響き、腹から絞り出す掛け声と鉦の軽快なリズム。11名のどの顔も一切の屈託なく輝いている。ストレスに打ちひしがれ、疲れ切った東京の人々の顔と比べ、本当に同じ日本人かと思う溌剌さ、爽やかさ。会長の指示を聞く真剣なまなざし、一糸乱れぬ動きに同じ目的に向かう彼女たちの精神力の高さを感じる。毎週土曜日、夜3時間の練習に励む。苦しいことも泣きたいこともあるだろうが、皆でそれを超えていく人間の絆を感じることが出来る。我々の予算が厳しいなか13名の皆さんが太鼓を抱え自腹でセブに来てくれた。今回は目玉になる演目がないというジレンマの中、田中会長に無理は承知、駄目元で恥を忍んでお願いしたところ「任せてください。」の一言。漆黒の闇に一閃の光が差した。いよいよ本番当日、全員が出演の時刻まで会場にも姿を見せない。30分の公演に全身全霊を捧げる修行僧のようなストイックさすら感じる。文字で書き表すことなど不可能な轟き、雄叫びが会場を覆う。感極まって涙を流す人、興奮のあまり恍惚となる人。受け取り方は様々だが、数千の観衆の心をがっしりと掴む和太鼓の妙技。曲の合間に打ち手の一人が息も絶え絶えに聴衆に英語で語り掛ける。更なるたかまりが沸き起こる。長いのか一瞬で終わってしまったのかそれすら判らない30分の熱演。 盆踊にはこれまでお馴染みの東京音頭に「Tokyo Bon 東京盆踊2020」が日比の若者からの強い希望により加わった。会議で見せられた時には絶句したが、その軽快なリズムと相まって和風英語や日本式発音の「マクドナルド」、「フライドポテト」など聴いて自然に身も心も動き出す不思議な曲。フィリピン人の音感のもの凄さは、まさにここで全開する。デモの踊り手の振りを見て一瞬にして会得し、楽しみの輪に入り込んでしまう。 フィナーレは火付け盗賊による豪華絢爛たるファイアーショーと大輪の花火。漆黒の空にこれでもかと上がる火の芸術。 最終日の打ち上げが始まったのは深夜12時。山中大会委員長が目を真っ赤にして「5回の中で今回が最高の満足度だった。」と声を振り絞った。会場が狭く動員数は15000人余に過ぎなかったが、人数が多ければ会場が広ければ良しといった物質的な観点よりも何が心に残ったか、精神的な昂揚の度合いこそが重要ではないか。その意味では本当に地に足をつけコツコツ積み上げた第五回は今後に向けて何らかの指標を示しているのかもしれない。 乾季の殺人的な暑熱が去るはずの日没後も数千の人々からほとばしる興奮と爽快感を織り交ぜた熱気は続く。この熱気は国境、民族、文化、言語、年齢などという垣根が如何に空しいものかを参会者に知らしめたのではないだろうか。フィリピン人が東京音頭を踊り、日本人がシノログダンスに酔い、誰もが和太鼓や武道、コスプレ、カラオケに心を奪われる。5年前、僅か数名の何のバックグランドもない青壮年が「日比交流」「日比友好」の旗を立て徒手空拳で始めたイベントが第一回盆踊。私も含め無謀だ、無理だと決めつける旧い人間を尻目に大成功を収めた。その有志が未だに頑張っている。そして第四回は3万余の人々を集めた。今回は規模は小さくも先に述べた山中委員長の一言に尽きる質の高さが実現した。このイベントを成功させるため国境を超越した「人」達が集った。パフォーマンスを演じる人、お金を出す人、汗をかく人、知恵を出す人、様々な分野の人たちが自分の得意技を出しあった。関係諸官庁への許認可では鶴岡所長はじめ領事の皆さまが、わざわざ足を運ばれた。会場を無償提供どころか整地までしてくださったJセンターのUyさんファミリー。和太鼓はフィリピン航空が運び、通関業務はセブの専門家、食品会社の冷凍トラックが会場まで運んだ。〆の花火も多大の御援助をいただいた。Japan Festival 2012の采配を振るわれた秦元領事は縁の下の力持ちとして種々サポートしてくださった。屋台の皆さんも100ペソ以下でラーメン、たこ焼き、カレーなど、商売抜きで提供、ボランティアのお蔭で会場のごみは最小限度に抑えられた。どの分野が欠けてもイベントはいびつになってしまう。人の和、人の絆があってこその成功だった。更に特筆しなければならないのはマニラから桑原公使、白石日本人商工会会頭、清水日本人会会長らがご多忙の中、会場に駆けつけセブの熱気と感動を体験されたこと。今後このセブ発の手作りイベントが広くマニラやダバオに拡がり、例え最初は小さくとも日比の懸け橋になってくれることを期待したい。 最後に第五回セブ盆踊を成功させた各組織、各個人の皆さまに改めて御礼申し上げるとともに、今回の経験をいかに今後に繋げていくかを一緒に考えさせていただければ幸甚でございます。  

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