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私のマーヨンなご近所

水野

先日、知り合いの娘の結婚式に呼ばれた。確かに知り合いであるが、日本人の友人を通しての知り合いで、親しくもないし、ましてやその娘になんて会ったこともない。私が考えるに、その日本人に結婚式に来てほしいのであって、私はいわばオマケである。だから行く気なんてなかったのだが、友人とのやり取りの中で、どうしても断れなくなった。 日本人の友人は、フィリピンの結婚式は初めてで、どんな格好をしていけばいいのか、お祝いはどうするのか、など、いろいろ聞いてくる。しかし、私も行ったことがない。それなりの生活レベルの結婚式は。 だいぶ前の話だが、親戚の結婚式で「ニナン」という後見人になってくれ、と言われ、貸衣装屋で白いドレスを借り、出たことがある。でもそれはその辺の教会で、何が何だかわからないけど、どこかのオジサンと一緒に入場し、神父の取り仕切る式の最中、神妙な顔をして座ったり、立ったりしていればよかった。式が終われば、嫁の住む部落に連れていかれ、豚の丸焼きなどのごちそうを一通り食べて、帰って来る。予め席が用意されている結婚式なんて日本で生活していた時以来だ。 さて、まずは着ていくものだ。よくパーティーなどの招待状に、ドレスコードがあったりする。しかし、行ってみると、芸能人のようなドレスを着ている人もいれば、Gパンにポロシャツという人もいて、結局、何が正解なのかわからない。いかにも、という派手なドレスでもなく、決してみすぼらしくない、その辺を歩いていても浮かない格好、というのは難しく、これが私がパーティーの類の出席を避ける大きな理由となっている。しかし、今回は私はオマケである。何年か前に、子供の卒業式に着ていくために買ったブラウスにした。 会場のロビーに着くと、テカテカした布で身を包んだ女性たちがたくさんいる。おそらく、次に街中で会ってもわからないだろうというくらいの化粧も施されている。しかし、そんなきらびやかな中でも、やはり普段着のような恰好をしている人もいる。開始時間をとっくに過ぎていてもまだ始まる気配さえない。入口で、本当に招待客なのかを確認する厳しいチェックを受け、会場に入る。日本の一般的な結婚式場で行う感じで円卓がたくさん配置されていた。席に座ると、テーブルにはピーナッツが置いてあって、皆、待たされて腹が減っているのか、グルグルとピーナッツが回っている。しばらくしてやっと始まった。まるで日本のような披露宴であったが、少なくとも私と友人が座ったテーブルの招待客は、私を含め、一心不乱に出てくる料理を平らげていた。満腹になったら帰る、とどこまでも本能に従っている人々を見習い、私たちも頃合いを見計らいお暇させていただいた。 自分の結婚式を思い出してみる。私がカトリックではないために、特別な許可を得ないとならない、と夫に連れられて行った先で、日本の私の住んでいる近くの教会に電話をするから、という理由で五百ペソを徴収され、ようやく教会で結婚式を挙げられる許可をもらえたのだが、夫は、月に一度行われる合同結婚式に申し込むという。確か、それが三百ペソだった。仮にも日本人で、日本からも私の両親も来るのだから、私たちだけでできないのか、と聞いたら、千ペソもすると危うく却下されかけたが、私が払うからと強引に貸し切り結婚式を挙げた。そのあと、夫の住む部落で、どんちゃん騒ぎをしたようだが、私は日本から来てくれた家族や友人たちをもてなすため、披露宴(?)には出席しなかった。日本の親戚がくれた祝い金でお釣りが来たような結婚式であったが、今は昔。最近では、そんなに安上がりではないという話だ。ついつい自分の時を基準にしてしまい、結婚式はそんなに金はかからないと認識していたが、今や教会を貸し切って結婚式をやろうものなら何万ペソもかかるらしい。 このあたりの部落では珍しく、毎週、日曜日の朝に教会に行く敬虔なカトリックの親戚の一家がいる。年頃の娘がいるが、気が付けば家に転がんでいる若い男性がいて、普通に家族のように暮らしていた。私が夫と結婚するという時、家を建てる前にとりあえず借りた家のオーナーに、神様が怒るからと、結婚前に同居することを固く禁じられたが、これまた正解がわからない。同居して数年が経ち、ようやく結婚式を挙げるという。小さなビジネスホテルでやるというので驚いたが、そういえば、ここ何年も、近所で結婚式、または披露宴をした話を聞いていないので、これもまだ時代の流れなのかもしれない。名前入りの招待状をもらったが、生憎、どうしても外せない用事があり、出席できなかった。直接謝り、なにがしかのお祝いをあげた。姑も招待状をもらっていた。しかし姑は行かない、と言う。理由はよくわからないが、ただ行かない、と頑なに拒む。ホテルでやるからには、出欠の連絡はちゃんとしておいた方がいい、と、どうやら姑は行かないらしい、と娘に伝えたら、すでに本人から聞いている、とのことだった。そして、当日。親戚のフェイスブックの写真を見ていたら、なんと姑が披露宴に参加していた。 同じフィリピンではあるが、おそらく収入に応じそれぞれの生活レベルがあり、そのレベル毎の常識はまったくちがうらしく、どこまでいっても正解がわからない理由なのだろう。

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