セブ島通信 Vol.166 2018年09月号へ戻る

慰霊祭会長挨拶全文

セブ日本人会会長 櫻井絹恵

皆様本日は多忙の中お越しいただきありがとうございます。 現在日本に病気療養と母上の介護で帰省中である櫻井会長ご挨拶をせんえつながら私田中が代読させて頂きます。 Thank you for coming today. I will read a message for on behalf of Our president Ms.Kinue Sakurai. She is back in Japan now for her medical treatment and taking care of her mother. 73年前の8月15日、真夏の太陽が照りつける暑い日に戦争は終わりました。戦争は実戦で命をかけて戦った兵士や何の罪のない多くの人々の命を奪いました。先の戦争で戦没された方々の霊に祈りを捧げると共に、後世に悲惨な戦争の記憶や世界平和への努力を継続する為にも慰霊を大切にして真実を語り継ぎいでいく所存であります。本日は多くの皆様方に戦没者慰霊祭に御出席頂き心より御礼を申し上げます。 私は不慮の事故に遭った母の看病で一時帰国しており今日の慰霊祭に参列出来きず誠に残念ですが、旧鹿屋(かのや)航空基地と旧知覧特攻基地のある鹿児島で行われる第二次世界大戦戦亡者慰霊祭に参列しお祈り致します。 2016年1月、国交正常化60周年を記念して天皇皇后両陛下が国賓としてフィリピンを公式訪問されましたが、慰霊の旅であられたと痛感致しました。天皇皇后両陛下は先の大戦で最も大きな被害を受けたフィリピンの慰霊を大切にしておられ、今だに解決されない残留孤児問題や日系人に対しても心を痛めておられます。 日本は1941年12月にアメリカの植民地だったフィリピンに将来の独立を約束するといって占領しました。国内内情を把握していなかった日本軍のフィリピン占領当初は、アメリカ軍にはアメリカ人兵士とフィリピン人兵士がおりました。占領後にゲリラ化したフィリピン兵が民衆に紛れ日本軍を襲い、日本兵は民衆とゲリラの見分けがつかず混乱し、フィリピンの一般人はゲリラと日本軍の板挟みになり大多数の犠牲者を出してしまいました。日本軍に追われオーストラリアに退却したアメリカは、海上から武器や資金を提供し、強硬になっていたフィリピンゲリラと日本軍との戦いは更に泥沼化(どろぬまか)し、地獄の戦いと化して行きました。レイテ島やセブ島を始め、フィリピン全土で過酷で悲惨な戦いが行われました。フィリピンは東南アジアの沖縄とも言われ、外地では最大の51万8千人を超える日本人が命を落としました。しかし、当時の人口1630万人でのフィリピン側の死者は111万に及んでいて、当時の国民の16人に一人が亡くなっていることは日本ではあまり知られていません。誰も望んでいなかった戦争に何故多くの人々が戦争の渦に巻き込まれたのか、そこにはアメリカからの独立間近のフィリピンに日本が進軍した故の悲しい事実があります。 アキノ前大統領主催の晩餐会での天皇陛下のお言葉です。「貴国国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、貴国の多くの人が命を落とし傷つきました。私ども日本人が決して忘れてはならない事」この御言葉には陛下の思いが凝縮(ぎょうしゅく)されています。私達は時の流れやフィリピン人の「許す」という寛大さに甘える事なく過去を心に刻む事を忘れてはなりません。 また忘れていけないのは、フィリピンには戦前、戦中、当時の貧しかった日本から多くの日本人がフィリピンに渡り商売やプランテーション経営を行い、フィリピン人女性と結婚し幸せな家庭を築いた事です。しかし戦争により全てが失われてしまいました。 戦争の混乱中、民間人でも日本人というだけで虐殺された時代で、赤ちゃんや子供も殺されました。当時は子供までも洗脳された敵とみなされ、日本人には一般市民などいないと考えられていたのです。戦後も日本人のアイデンティティを隠して必死に生き延びた日系人の方々の御苦労は言葉では表せない非情なものです。本日はセブ日系人会の会長、副会長に御出席頂いております。 セブ観音からは特別攻撃隊第一陣がレイテ島に向けて飛び立ったラホグ飛行場跡が一望できます。御国の為に、また父母、妻や子供の為に戦った軍人達。勝った方にも負けた方にも大切な家族がいました。また特攻志願したとはいえ、十死零生(じゅっしれいしょう)の特攻を選択した若者達が生と死の狭間で書き残した遺書を読む私達は感涙(かんるい)に唸り(うなり)ます。特攻隊員が抱いた清心なる祖国愛、崇高(すうこう)な自己犠牲の精神は想像を超えたものがあります。どの戦争も犠牲の方がはるかに大きく、そこには勝者はいないのです。私を含め戦争を知らない世代が増える反面、戦争の真の事実を伝える事が私共の責務であります。 世界にまだ1万4先発を超える核兵器があります。核兵器が炸裂した広島や長崎で起こった地獄絵巻の様な悲惨な歴史を風化させる事なく、核兵器の恐ろしさを唯一の被爆国として声を上げて行く義務があります。昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の長年の思いが伝わった大きな一歩となりました。残念ながらアメリカの核の傘下にある日本は現実的でないと批准(ひじゅん)に署名しませんでした。世界では自国第一主義を唱える指導者が増え、軍増強や核兵器の近代化、IT化が進んでおり戦火が起こる可能性が高まっています。オバマ前大統領が被爆地広島を訪れ、原爆投下国として第二次世界大戦の全ての犠牲者に追悼の意を示し、また2羽の折り鶴を自ら折られ平和の祈りを捧げた事は高く評価されました。平成最後のセブ観音での戦没者慰霊祭には多くの人達が恒久なる平和への祈りを込めて約5000羽もの千羽鶴を折って下さいました。千羽鶴を準備するには如何(いか)に大変な作業であったと存じます。貢献された皆様に厚く御礼を申し上げます。鶴を折って下さったのは日本人だけでなく、多くのフィリピン人や外国人もいます。皆が二度と戦争が起こらない事を願い、一羽一羽に祈りを込めて折りました。この様な時代だからこそ理性を持って戦争を回避する勇気を持ってもらいたい。唯一の被爆国日本は「核なき世界」を主導し国際的役割を果たすべきだと切に思います。 6月12日に史上初の米朝首脳会談が行われました。北朝鮮の非核化もしくは経済制裁措置強化及び圧力増強して軍事衝突になる可能性の二つの選択肢。合意文書では完全な非核化に取り組むと記されていますが、ほとんど何も決まらないまま署名されましたが北朝鮮が自国の核兵器を放棄する保証は無いのです。融和と対立を繰り返してきた米朝は今後も接近と裏切りを繰り返し、北朝鮮は非核化詐欺を継続していくと考えられます。金だけを払わされる日本と韓国にしてみればいい迷惑です。 「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書き込む」「2020年に新憲法施行を目指す」と安倍首相は述べられ、改憲への動きが急速に強まっています。戦後70年以上に渡って日本が戦争を起こさなかったのは憲法9条の存在と市民の粘り強い運動があったからです。愛する息子や孫を戦場に行かせたくない気持ちはどの母も祖母も同じです。憲法9条改正に反対し、日本国憲法の民主主義、基本的人権の尊重、平和主義の諸原則が生かされる政治を求めます。私達は肌身で感じた戦争の悲惨さを語り継ぐ事が出来る最後の世代である事を自覚し、恒久平和の実現に向けて一層の努力を続けて参ります。 全ての戦亡者の御霊(みたま)の御冥福と、遺族の皆様の御健勝、また世界平和を祈念致しまして慰霊の言葉と致します。 平成30年8月15日 セブ日本人会会長 櫻井絹恵 We also thanks for the attending this ceremony to Ms.Estrella C.Siega President of Nikkei jin Kai Cebu.And of course Thank you for the all setting up and maintenance of this Cebu Kanon for long time.Mr.Brian Conel of Marco Polo Plaza hotel and his team,He also giving us the advice of Origami Crane

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