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私のマーヨンなご近所

水野

私は毎朝、モルティカブと呼ばれる乗り物で通勤している。 モルティカブとは、乗合いバスのようなものだ。ジープニーと呼ばれる乗り物と役割は同じなのだが、モルティカブは軽トラックを改造したもので、なぜか庶民の間では名前は区別されている。初乗りは、現在、7ペソ。5キロまで行ける。その後、1キロごとに1ペソ加算される、というシステムらしいが、これは実際に距離を測っているのかというと、そうではないらしい。何となくここからここまではいくら、みたいな暗黙の了解がある。しかしこれは運転手によっても認識がちがう。私の家の前からマンダウエ市の「ハイウェイ」と呼ばれるあたりまでは、日によって15ペソだったり16ペソだったりする。15ペソきっちり払う時には、概ねそのままだが、20ペソ紙幣を出すとお釣りが5ペソの時と4ペソの時があるのだ。以前の私なら、「ちょっと!ドコからドコまではいくらなわけ?」と運転手に喰ってかかるところだが、今では「あ、今日は16ペソなのね。」ってなもんだ。たまに以前の私のように、キーキー怒っている人がいるが、結局のところ、バス停があるわけではなく、ちゃんとした距離を測れるはずもなく、微妙のところは運転手に従うしかないし、1ペソのことでキーキー怒っていたら身が持たないということを、最近は受け入れられるようになり、キーキー怒っている人を温かい目で見守っている。 さて、この乗り物では料金をいつ支払うかというのは、結構、頭を悩ます問題だ。近場ならば、乗ってすぐに支払っても構わないが、私のように長い距離を乗る場合に、先に払っても、ちゃんと目的地に着かない場合もままあるからだ。それは故障だ。私は車はまったく詳しくないが、それでも、これ、ほんとに大丈夫か?と思うボロ車も走っている。危ないのは、渋滞の時である。何度も止まったり、動いたりしているうちに、エンストを起こし、そのままエンジンがかからない、ということは日常茶飯事だ。そんな時、運賃を先払いをしていたら、降りるに降りられない。いや「返せ。」と、言えば、返してくれる運転手もいるが、そんな悠長なことをしていられないのだ。すぐに代わりのモルティカブを見つけなければならないからだ。昨今、通勤時間帯にモルティカブに乗ることすら難しくなっている。とにかく空きがなく、みんな満杯、しかも後ろにぶら下がっている命知らずな男性もいる。渋滞の中で故障なんかされても、そこから先に進む空いているモルティカブなんぞ、来やしないのだ。 しかも満員の乗客が一斉に降ろされるのだ。更に乗れるチャンスは少なくなる。祈るような気持ちでエンジンがかかるのを待つか、さっさと見切りをつけるか。そんな一瞬の判断力を必要とされている非常時に、さっき払った運賃を返せ、なんて言っている場合ではない。 マクタン島とセブ本島を結ぶ橋の手前で故障されたことが何度かある。こんなところでは、絶対、代わりのモルティカブなんぞない。すでに道路には、モルティカブを待っている何百人という人たちが、車線を1本潰してまで溢れかえっているのだ。橋を渡ってマクタン島に行けば、何とかなるかもしれない。が、私は高所恐怖症なのだ。しかし、そんなことも言ってはいられない、と、意を決して歩き始める。途中、お尻がムズムズして、これ以上、先には進めないかも、と思う。でも後ろにも戻れない。歩いて橋を渡ろうとしたことをものすごく後悔した。下を見るから怖いのだ。上を向いて歩こう、などとほとんど泣きそうになりながら歩いていたら、すぐ前を歩いていた私と同じ年頃の女性が、その前を歩いていた橋の下の大きな学校の生徒らしき若者に、「ちょ、ちょっと、肩を捕まらせてもらってもいい?これ以上、足が出ない。」と、まるで私と同じ状況で驚く。前の若者は、「ああ、いいですよ。」と、気さくに答える。女性は、若者の肩に捕まり、前に進む。「私も、いいですか?私も高いところは怖くて。」と、思わず言ってしまった。すると、前の女性が、「あなたも?こんな高いところじゃ足がすくむわよね。あなたは私に捕まりなさい。」と言ってくれたので、何だか電車ごっこのようになってしまったが、無事に橋を渡りきることができた。 というようなことを繰り返し、ほとんど自虐ネタとして話していたら、帰りは職場の車で送ってもらえることになった。モルティカブで帰ると二時間かかっていた道のりが、一時間足らずで家に着く。お尻が痛くなるような固い椅子でもなく、エコノミー症候群を起こすのではないかと心配することもなく足も伸ばせる。片側八名の定員なのに、無理矢理乗って来るオバチャンのせいで身動きが取れなくなることなく、横に座った労働者のスメハラを受けることもなく快適に帰って来られる。 話を戻すが、運賃を払うタイミングで気を付けなければならないことは、故障だけではない。モルティカブはどんどん乗客が降りて行くと、みんな入口に近いところに移動する傾向が強い。降りる時に払えばいい、と思っていると、運賃を渡してくれる人がいなくなり、自分でお尻をジリジリ動かしながら運転席の後ろまで払いに行かねばならないこともある。そんなナイスタイミングを狙って運賃を支払い満足していると、私より入口に近い人から、当たり前のように「お願い!」と運賃を渡されることがある。そして結局ジリジリとお尻を動かしながら運転手席の後ろまで移動していく。 私はセブに来てから相当に徳を積んでいると思う。

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